カラフルなブログとか

ちょっとしたメモ代わりに

コンビニなどの店内放送はこの先どうなるのか

きっかけはABCマート。何気無しにNIKEやVANSのスニーカーを眺めていたところ、なんだかラジオみたいなしゃべりが耳を捉える。

 

「~~ですよね」「ということで~~です」「本当に一度試してほしいですね」

 

男性と女性のトークだということは分かるのだが、しばらくするとまったく実のない話に終始しているのが見えてきた。詳しい内容は忘れたが、これと似たような会話を他で聞いたことがあるので例に挙げてみると、

 

「暑くなってきたね」

「そろそろ夏だものね」

「今年は夏らしくどこか遊びに行きたいね」

「うん、暑さに負けずにエンジョイしたいね」

「暑いからといって、家でクーラーかけてばかりじゃつまらないしね」

「そうだね。気合入れて外に飛び出そうよ」

「やっぱり夏は暑いものだからね。その暑さを楽しむぐらいじゃないと」

「そうそう、夏にしか出来ない楽しみ方もあるしね」

「そんな夏ももうすぐだね」

「○○(そのタレントの愛称)は、早く夏が来て欲しくなってきたよ!」

「夏らしい楽しみ方ってたくさんあるよね」

「家でゴロゴロしてるのがもったいないぐらいにね」

・・・・・・・・・

といったように、いつまでも同じところをぐるぐる回り、その先に進まない会話。

 

ゴール前でパスばかり回して決してシュートを打たない場面を見せられているように、もどかしいというか、居心地が悪いというか、とっても不快な状態に陥ってしまう。

 
うさんくさい自己啓発販売サイトにある動画のような「今がやるときだから」「迷ってる暇があったら始めるべきですね」「成果はやった人にしか現われない」「とにかくやってみようという気持ちが大事」といった文章を椅子に座って延々繰り返ししゃべっている映像を見せられているようだ。

興味のあるスニーカーがあったにしても、取りあえず店を出る。出るというよりも、避難するといった方が正しい。

 

そして思う。店員さんは苦痛じゃないのか?と。

 

同様の思いをファミマでもするようになる。こちらはお笑いコンビやアイドルが期間ごとに担当しているようだ。そのようなことを店内放送の中でしゃべっていた。

が、「ファミマで流れるんだから、頑張らないとね!」などとしゃべっていても、内容が無い。しばらく上のような意味の無い会話の後に曲が流れる。

 

やっぱり思う。店員苦痛だろ?と。

 

単なるBGMだといけないのか?こんな放送と呼べるのかどうかもわからないノイズを店内で垂れ流すセンスを疑うのだが。

 

まあ多くの人はあまり気にしないのかもしれない。僕自身も普段ファミマに行っても特に居心地悪いと感じることは少ないし、意識しないことの方が多いのは確かだ。

コンビニの客なんて長くいるわけじゃないから適当でいいやん、ていうことなのかもしれない。逆につい聞き込んでしまうような内容であっても意味が無いということか。

 

ただ、そうだとしても、流してもよいレベルというものがあるはずだ。今は価値観も多様化しているからこんな放送でもいいんだという意見があるかもしれないが、価値観の崩れは見逃さない方がよいだろう。この崩れが他のことにも波及していく危険もあるからだ。

企業倫理の欠如。努力の放棄。

単なる欲に支配され、他人を思う意識の崩壊。それは自分自身をも貶めることになるのだが、それさえも認識できぬほどの衰退。

 

たかが店内放送で大げさなと思いますか?そう思ったのなら、この流れに取り込まれているのかもしれません。