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「納得させる理由」などいらない、「自分が納得する理由」と「人に説明できる理由」が人に伝える秘訣

自分の希望や考えを伝えるときに、「人を納得させる理由」がないと希望通りになりにくい、と言われる。
自分がしたいことは何かを明確にして、何故それをしたいと思うのかという根拠を論理的に説明することが大切なのだ、と。

人に自分の考えを効果的に伝える方法として、いろいろな事例を引き合いに出して説明している本やサイトを見たことがあると思う。そして、そういったところを参考にして、自分の生活に取り入れてみるのだが、実際にはなかなか上手くいかないことも多い。
そんなとき誰もが、物事は書籍やネットの文章に書いてるような単純なものでない、と当たり前のように言う。


それならば、そんな書籍やネットの文章などあっても意味が無いではないかと思う。実際に役立つ方法を知りたいのだと。

書籍にしてもネットの話し方などのサイトにしても、論理的な話し方、根拠をはっきり伝えるコツ、など羅列しているが、どこか上っ面をなぞっているだけの印象が拭えない。中身にまで心がこもっていない。

というよりも、心の込めようがないのだろう。

どうしても一般的な話にならざるをえないのだ。一つ一つの細かい事例を気にしだすとキリがないし、人の考えはまさに「人それぞれ」なのだから、全てをカバーする方法などありはしない。
人の性格は千差万別、伝えるときの状況も様々なのであり、その最大公約数として書籍やネットにあるような文章を作り上げたとしても、この人間社会に対応するマニュアルとして役立つには乏しすぎる内容にしかなれない、ということだ。

元々自分と他人の意見の方向が似ているならば、そういった本やネットの乏しい内容でも、説得力の上積みに役立つことになるだろう。それは、別にそれらがなくても、結局説得できるからだ。ただ、説得の時間を短縮する役には立つということだ。

しかし、大きく意見や考えが異なる場合「人を納得させる理由」などあるはずが無い。考えて考えてさらに考えて論理を構築して意見をまとめた分、相手も同様に考えてさらに考えて反論の構成を組み立てなおすものだ。
理想でものを言う人の意見を丸呑みにして、「納得させる理由」の構築に力を注ぐのは時間のムダである。それで失敗しても、理想でものを言う人は「納得させる理由になりきらなかったのだ」と言うのみだ。人を惑わす責任逃れの意見を繰り返すのみだ。

自分の希望や考えを伝えるときには、「自分が納得する理由」を持っておくことだ。
そして、「人に説明できる理由」を持っておくことだ。

とにかくこうしたいのだ、と熱意を持って語るには、「自分の心にある思い」をハッキリとぶつけるのだ。
ただ自分の思いだけをダラダラ喋るのは説得とは程遠いものだから、「自分の中の思いを人に話せるように言葉にしておく」のだ。

ハッキリ明確に「こうしたい」と言えば、それでいい。それ以上に何か付け加えたりするから、その「付け加えた言葉」を足がかりにして相手が反論するのだ。
スキを見せる真似は避けたい。「あくまでこうなのだ」という意見だけでいい。

 

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