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自分の習慣をコントロールするには

人は何らかの決意を持って、自分自身を変えようとすることがよくある。もしかしたら、全ての人に必ず訪れる欲求といえるかもしれない。全ての人というのは言い過ぎかもしれないが、もう気にしないで全てと言っておこう。細かいことにいちいち気を使うのも良くない習慣だ。

習慣とは繰り返した結果意識しないで行うことである。気がついたらやっていたみたいなことである。それが自分にとって、また他人にとって良いことであれば問題はない。しかし現実は修正したいと思うことが数多い。

姿勢が悪い、つまみ食い、家でごろごろ。またクセなども含めると、いろいろ直したいことがあるだろう。そして直そうと努力はしているはずだ、誰もが。何故それが続かないのか。自分のことなのに何故出来ないのか?不思議だ。

 
それは、一つには流れというものがあることが理由だ。「流れ」を「勢い」と言い換えてもいい。水の流れと同じだ。急な「流れ」だと水の「勢い」が強い。緩ければ、弱い。


習慣も、習慣であり続けてきた「流れ」がある。長い間習慣になっているものほど「勢い」がある。その習慣を直そうとしても、一度やったぐらいでは「流れ」は変わらない。「勢い」があるからだ。すぐに「勢い」に飲み込まれる。多少押し戻しても、すぐに元に戻る。

次の日にまた思い出して習慣を直す。しかし「勢い」があるから元に戻る。頑張って直そうとしたら、多少は頑張れるが、やがて「勢い」が勝つ。「流れ」があるから無理なのだ。

それでも毎日あきらめずに直そうとしていれば、やがて「勢い」も弱まるかもしれない。そしていつかは希望通り、習慣が修正出来るかもしれない。しかし実際はそうなる前に、気持ちが続かないだろう。何日やっても元に戻るのだから、気持ちが萎えて当然だ。、

仮に「勢い」が弱まっていったとしても、そうそう実感できるものでもない。そして「勢い」が弱くなったことよりも、元に戻ったことにしか意識が行かないだろう。結果、何度やっても変化が無い、となってしまうのだ。

ではどうすればいいのか。方向を変えるのだ。「流れ」を止めようとしても無駄だ。「勢い」に逆らっても押し戻される。そうではなく、少し違う向きに変化させるように考えてみる。

ということは、悪習慣をいきなりやめようとしないということである。とりあえずはその習慣が出ても受け入れる気持ちを持っておくことだ。しかしあきらめたわけではない。「そうなってもいいよ」という余裕の気持ちを持ちつつ、少しばかり自分の希望を入れていくのだ。

悪い習慣を直す行動ではなく、別の新しい習慣を作ると言ってもいいかもしれない。新しい習慣が、悪い習慣を弱める。そうなるような行動を作ってみる。
無理に弱めようとする必要は無い。自分がやりやすい、気持ちが良いことである方を優先して考える。やりやすければ長続きするだろう。

それがやがて良い習慣となって、生き方を良い方向に導いてくれる。

それは簡単かもしれないし、難しいかもしれない。新しい習慣を作るという考え自体が、まるで取ってつけたみたいな言い分に聞こえるかもしれない。あまりにチンケな発想過ぎると思う人もいるだろう。

もっと堂々とした人になりたいと思った人が、「自分は堂々とした人を演じよう。そうだ自分は大学の偉い教授としてふるまってみよう」と思って、そのようにしながら生活していたところ、やがて「演じた自分が本当の自分になった」といった話がある。何かの人生相談のようなもので、この手の話をアドバイスしている人もたまに見聞きする。
この話も、人によっては「ふさけてるのか」と怒り出すような話だといえるだろう。

新しい習慣を作る。
なりたい自分を演じる。
どう考えるかはあなたの自由。馬鹿馬鹿しいと思っても全くおかしくない。やってみようと思っても全くおかしくない。

最後にまとめておくと、
  1.「流れ」や「勢い」に対抗することは無理をすることである。
  2.無理は続かない。必ず破綻する。
  3.それはそれとして受け入れて、別の何かを作ってみる。
  4.自分がやりやすい何かを新しい習慣にしてみる。やりやすければ長く続けられる。
  5.良い習慣の流れが斜めから悪い習慣の流れを押す感じにする。やがて悪い流れは別の方向に向かいどこかに行くか消え去る。


考え方のテクニックとしてのメモである。

 

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